木喰上人は、身延町の旧丸畑村(現在の古関)出身で、14歳の時に心に期するものがあり江戸へ出奔。22歳の時に出家し、56歳から93歳で亡くなるまで全国を遊行しながら微笑みの仏像を彫りつ続けたお坊さん。その仏像の数は1000体を超えます。
身延町帯金の静仙院の近くにあるお堂には、木喰仏が彫った「薬師如来像」が安置されています。昔、この周辺で目の病が流行していて、巡礼中の木喰上人が収束を願い彫り上げたと伝えられています。
身延町帯包の金龍寺には、日蓮大聖人の木喰仏が安置されています。木喰上人は真言宗ですが、当時の金隆寺の住職との間に宗派を超えた特別な縁があり彫られたものです。
木喰上人生誕の地、身延町丸畑には、「木喰の里微笑館」があり、木喰上人に関連する資料が多数展示されています。仏像だけでなく、和歌を詠んでいた資料などもありますよ。
木喰の里微笑館には、1体だけ木喰上人が彫った仏像、「十一面観音像」が残っいています。長い年月で木目が割れていますが、微笑みの様子が分かりますよ。
木喰上人が全国を旅しながら、何度か丸畑に帰ってきた時に地元住民の願いを受け、約9か月間で90体あまりの仏像を彫り、四国堂を建設しました。現在の四国堂は復元したもので、1体だけ仏像が残っています。それが「子安観音像」です。
木喰上人が丸畑で仏像を彫る活動を最後までサポートしたお宅に、木喰上人からお礼として仏像がおさめられています。小林さん宅には、馬頭観音と薬師如来があり、先祖代々大切に引き継がれています。
今回出会った6体の木喰仏を見て、みほとけさんが感じた、みほとけ的木喰仏です。
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