今週の放送

火曜日やまなしを学ぼう!スゴろくのすゝめ #4(6月16日)

やまなしを学ぼう!スゴろくのすゝめ #4
  • 甲府に次ぐ町 鰍沢

    徳川家康の命により、京都の豪商・角倉了以が
    富士川工事に着工した『富士川舟運』。
    鰍沢河岸は、その拠点として甲府に次ぐ賑わいだったそうです。

    甲府に次ぐ町 鰍沢
  • 交通・流通の要

    鰍沢-静岡・岩淵の約72㎞を結んだ富士川舟運は、
    まさに交通・流通の要でした。
    そこから甲府盆地一円、陸路・信州往還を通り
    信州の諏訪や高遠へと荷が運ばれました。

    交通・流通の要
  • 富士川舟運で運んだモノ

    鰍沢からは、年貢米を載せ、江戸・蔵前まで下り、
    空になった上りの船には、塩や藍玉、乾物など
    山国・山梨にはない品が運ばれていました。

    富士川舟運で運んだモノ
  • 信州・高遠で 「鰍沢」と呼ばれたのは…

    高遠で「鰍沢」と呼ばれていたのは…「塩」。
    明治・大正の頃まで、塩を買いに行くと
    『鰍沢ください』と言ったり、
    味付けが濃いと「鰍沢が近い」、
    味付けが薄いと「鰍沢が遠い」と言ったそうですよ。

    信州・高遠で 「鰍沢」と呼ばれたのは…
  • ワイン醸造のパイオニアは、本当は3人の予定だった⁉

    明治時代、ワインの本場・フランスへ留学し、
    その後のワイン醸造のパイオニアだった
    高野正誠実と土屋助次郎(のちの龍憲)の二人ですが、
    実は、もう一人候補だった『第3の男』がいたんです!
    それが宮崎光太郎でした。

    しかし、父から「宮崎家の一人息子に何かあったら困る」と
    猛反対され、夢は叶いませんでした‥‥。

    ワイン醸造のパイオニアは、本当は3人の予定だった⁉
  • その後の山梨のワイン産業に大きく貢献

    民間で日本初のワイン醸造会社が解散後、
    その設備や醸造器具を引き継ぎ、会社を始めた宮崎光太郎。
    フランスに留学した土屋龍憲と共にワイン造りを始めます。
    その後、経営者と醸造家 それぞれの立場から
    袂を分かつことにはなりますが
    宮崎はワイン醸造会社を拡大していきました。

    その後の山梨のワイン産業に大きく貢献
  • 観光産業の草分け的存在

    新宿-甲府間の中央線開通により、
    ワインの東京での販売、ぶどう狩りとワイン工場の見学を
    セットにした観光産業に力を入れた宮崎は
    今の山梨の観光産業の草分け的な存在でもあります。

    観光産業の草分け的存在
  • 太郎ちゃんオススメのサクランボ

    東京からのリモート中継で太郎ちゃんが紹介したのは
    大好物♡の「サクランボ」‼
    以前、山梨に来れないため、取材でお世話になった
    南アルプス市の沢登農園さんから旬の佐藤錦と紅秀峰を
    お取り寄せしました♪
    これから、県内の様々なフルーツが実る季節がやって来ます!

    太郎ちゃんオススメのサクランボ