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放送内容のご案内 [やまなし発見! 太郎ちゃんゼミナール 武田信虎と山城(12月26日)]

やまなし発見! 太郎ちゃんゼミナール 武田信虎と山城

12月20日は、甲府の誕生日といわれています。
今年は、甲斐の国を統一した武田信虎が、甲斐の府中を「川田の館」から現在の武田神社のある「躑躅ヶ崎の館」に移転して500年という節目の年でした。
居館の引っ越し作業は、500年前の永正16年8月に始まり12月20日に完了したといわれています。
このため12月20日が甲府の誕生日といわれているのです。

躑躅ヶ崎に居館を築いた信虎は、その翌年 戦の際に立てこもる詰城として躑躅ヶ崎の北側にある要害山に城を築きました。
信虎の嫡男 武田信玄は、要害城が完成した翌年の大永元年に要害城の麓の積翠寺で生まれました。

信虎は、要害城を築いた3年後に二つ目の山城を築きました。
それが甲府市の湯村山に築いた湯村山城です。
武田氏研究会の山下孝司事務局長は、湯村山城の目的として「敵対する駿河勢を防ぐ為の城だったのではないか」と話しています。

武田家滅亡後、甲斐の山城は、甲斐の領地を争った北条氏と徳川氏の戦い「天正壬午の乱」で利用されました。
北条氏は、東と北から甲斐に攻め込み「御坂城」や「若神子城」に陣取りました。これに対し徳川氏は武田家最後の城「新府城」や「小山城」に陣取り戦いました。
結果は、武田の遺臣を配下に治めた徳川氏が勝利し 甲斐の領土を治めることに成功しました。

山梨県内には155の山城が確認されていますが、その中で平成25年に発見されたのが甲州市にある恵林寺山城です。
恵林寺の背後に守りの為に造られた城とみられています。
この城を発見したのは、当時 牧丘第二小学校の校長をしていた内藤和久さんでした。
社会科の教材のネタ探しの為に山の調査をしていて発見しました。
恵林寺山城は、永正13年に武田信虎が駿河の今川氏と甲斐の大井氏の連合軍との戦いで逃げ込んだ場所と見られており この場所で3ヶ月ほど滞在したあと反転攻勢に出て今川・大井連合軍と和睦し 甲斐の統一を果たすきっかけとなった場所といわれています。

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2019.12.26

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