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放送内容のご案内 [やまなし発見!太郎ちゃんゼミナール 『甲府城主を務めた柳沢吉保』(11月29日)]

やまなし発見!太郎ちゃんゼミナール 『甲府城主を務めた柳沢吉保』

甲府城主・柳沢吉保をお勉強!

甲府城主・柳沢吉保をお勉強!
今回の『太郎ちゃんゼミナール』は、
江戸時代の甲府藩主・柳沢吉保を勉強しました。
ドラマや映画等で悪徳大名として
描かれることが多い柳沢吉保は、
果たして本当に悪人だったのか!
その真の姿に迫りました。

柳沢家発祥の地 甲斐国へ

柳沢家発祥の地 甲斐国へ
柳沢吉保は、徳川五代将軍・綱吉の側近として仕えた人物で
先祖は現在の北杜市武川町出身の武川衆で
甲府城主を務めました。
自分と同じ武川衆の血を引く「定子」を正室に迎えるとともに
母親の侍女だった側室の「染子」との間に
嫡子「吉里」をもうけます。

「吉里」に対しては、言葉使いに至るまで
細かな教訓を伝えるとともに、
正室「定子」が亡くなった際には
恋文のような長文の追悼和歌を残しています。

綱吉を支えた吉保

綱吉を支えた吉保
柳沢吉保と五代将軍・徳川綱吉は、共に戌年で
今年は、吉保生誕360年目にあたります。
宝永元年(1704)12月、吉保は甲府藩主・徳川綱豊が
将軍・綱吉の後継者に決定すると
その功績により、綱吉から甲斐・駿河両国を拝領し
甲府城を与えられます。
甲斐国は江戸に近接し、吉保以前は
徳川一門が代々領知した重要な国だっただけに
綱吉の厚い信頼の表れといえます。

甲府城・城下町の整備に尽力

甲府城・城下町の整備に尽力
吉保は、生涯甲斐国を訪れることはありませんでしたが
江戸にいながら甲斐国の統治に力を注ぎ
強力なリーダーシップを発揮しました。
傷みのひどかった甲府城と城下町の整備に力をいれ、
城内には花畑曲輪が設けられたほか
楽屋曲輪には能舞台が作られました。

吉保の甲斐国PR戦略

吉保の甲斐国PR戦略
享保9年(1724)に柳沢家が大和国に転封した際、
甲府勤番支配に対して残した甲斐国統治のための
引継ぎ書「甲斐国三郡引渡目録」には、
旬の時期ごとに将軍に対して献上した
甲斐国の産物が書かれています。
柿・林檎・梨・葡萄が書かれていて
当時から果樹が特産品として知られていたことをうかがわせます
吉保は、これら4つの果物を含む8種類の果物を奨励しました。
この時代に果物はとても珍しくて貴重だったことから
『甲斐(甲州)八珍果』と名づけられました。
胡桃の代わりに銀杏と書かれた書物もあるそうです。

吉保の菩提寺 幻の寺『永慶寺』

吉保の菩提寺 幻の寺『永慶寺』
吉保は、将軍綱吉の死去に伴い隠居し、52歳で息子の吉里に家督を譲り、
正室・定子とともに江戸の下屋敷に造営した
「六義園(りくぎえん)」に移り住みます。
そして翌年の宝永7年(1710)には現在の甲府市岩窪町に
菩提寺となる「永慶寺」を建立します。
その後、正室・定子がなくなるとその翌年の11月2日、
後を追うように吉保は57歳でこの世を去ります。
吉保の遺骸は、江戸から永慶寺に移され
葬儀が執り行われました。

吉保が亡くなってから10年後、
吉里は大和国(奈良県)郡山へ転封を命じられます。
吉里は、やむを得ず吉保夫妻の墓所や遺品を
永慶寺から恵林寺に移し伽藍を破却しました。
このため山梨では長らく「永慶寺」は「幻の寺」とされてきました。
一方、吉里は永慶寺を転封先の現在の
奈良県大和郡山市に移し現在に至っています。

異例の出世ぶりからドラマなどで陰謀をめぐらす策略家として描かれますが

歴史資料をあたっても、どこにも「吉保悪人」説等の証拠はありません。

それどころか「元禄時代」という日本の政治経済の転換期に果たした

政治手腕の見事さは、おそらく江戸時代を通じて

最高の政治家であり官僚であったということです。



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