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放送内容のご案内 [やまなし発見!太郎ちゃんゼミナール【鰍沢】(12月7日)]

やまなし発見!太郎ちゃんゼミナール【鰍沢】

今日のテーマは 「鰍沢」

今日のテーマは 「鰍沢」
今回は 富士川町の鰍沢です。
かつては鰍沢町でしたが、平成22年に
増穂町と合併して富士川町となりました。
江戸時代から知られていた町で、葛飾北斎が描き、
名人と呼ばれた噺家 三遊亭円朝が 落語にもした町です。

山梨にとって、重要な場所だった事を
今回は勉強しました。

繁栄の源は 「富士川舟運」

繁栄の源は 「富士川舟運」
鰍沢は静岡からの駿州往還と信州に向かう信州往還との交差地点。

さらに、富士川を舟で行き来する富士川舟運の港・鰍沢河岸があったことから、
交通と物流の拠点となったのです。

この富士川舟運により 鰍沢の繁栄はもたらされたのです。

富士川舟運の目的は年貢米

富士川舟運の目的は年貢米
富士川舟運は江戸時代の初めに 徳川家康が京都の豪商・角倉了以に命じて
富士川の開拓工事が始まりました。

その目的は山梨の年貢米を江戸へ運ぶことで、鰍沢から静岡へ運び、
そこから海の大型船で江戸の蔵前に行ったそうです。
そして帰りには山梨には無い様々物資が鰍沢に運ばれました。

長野県高遠町では「塩」が「鰍沢」?

長野県高遠町では「塩」が「鰍沢」?
静岡から運ばれた物の中には、長野県まで運ばれた物もありました。
その中で、伊那市高遠では大正時代ごろまで
あるものを「鰍沢」と呼んでいました。
それは「塩」
例えば、
買い物では「鰍沢下さい」と言い、
味が濃いと「鰍沢が近い」
薄いと「鰍沢が遠い」とも言ったそうですよ。

舟では何時間で下った?

舟では何時間で下った?
鰍沢から静岡・岩淵までの72kmが舟の道でした。
陸路を歩くと、江戸時代は丸2日かかったそうですが、
舟で行くとどのくらいで到着したか?

なんと!6~8時間で着いたそうですからかなりの早さですよね。

しかし!帰りは!!

帰りの舟はなんと人力!

帰りの舟はなんと人力!
静岡まで約7時間で下った舟ですが、
帰りは人力で鰍沢まで運んだのです。

この絵は明治時代のその様子を描いたものです。
一艘の舟を4人で担当、一人が竿で舵取りをし、
3人が綱を肩にかけ引っ張っています。
鰍沢まで4~5日かかったそうです。
明治19年からは帆掛け船が登場し、1~2日短縮したそうです。

舟運は明治に入って全盛期に

舟運は明治に入って全盛期に
江戸初期から始まった富士川舟運は
明治に入って全盛期を迎えました。

年貢米は廃止されましたが、新しい物資が次々に運ばれ、
鰍沢河岸の荷物置き場は大量の荷物が積み上げられました。

しかし・・・

舟運の終わり そして・・・

舟運の終わり そして・・・
富士川舟運は明治36年の中央線開通で物流の流れが変わり、
さらに昭和3年の身延線全線開通でその役目を終える事となり、
300年の歴史に幕を下ろしました。
そして、船頭さんなど職を失った人たちのために
「カラ傘作り」という新しい産業がスタート。多くの人が従事し、
「鰍沢傘」として有名になったそうです。

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