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〜中継・メルシャン勝沼ワイナリーワイン資料館〜
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甲州市のワイン造りは100年以上の歴史があります。
メルシャン勝沼ワイナリーワイン資料館は、明治37年(1904年)にワインの醸造場として建てられ、今年で102年になります。
現存する日本最古の木造ワイン醸造場として、建物自体が貴重な文化財。
この館内には、当時の道具や資料が展示してあり、甲州市のワインの歴史を知ることができます。
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甲州市塩山出身のシンガーソングライター、沢登秀信さんに甲州市のイメージソングの候補曲を歌っていただきました。
実は候補曲は4曲。この中から1曲選ばれるわけです。
イメージソングの効果で、街が盛り上がるといいですね。
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実はこの日、9月14日は黒塚アナの誕生日。
それを知ったワイナリーから突然、ワインのプレゼントが!(非売品)
しかも黒塚アナが生まれた年のワインだったんです。
こんなプレゼントができるのもワインの楽しみ方の一つですよね。
田辺市長にもお越し頂きました。
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〜山梨ワインの歴史〜
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甲州ワインの歴史は文明開化とともに始まりました。
明治初期、米不足に悩む明治政府は、米を原料とする清酒に代わる酒として、ワインに着目。
山梨県でも明治10年、藤村紫郎が甲府城内に葡萄酒醸造場を作り、試験醸造を始めました。
その頃、甲州市勝沼町でも地元有志により、民間初のワインメーカー「大日本山梨葡萄酒会社」が誕生。
発足したばかりの会社では、技術習得のため、
高野正誠(たかのまさなり)と土屋助次朗(つちやすけじろう)、のちの龍憲(りゅうけん)をワインの本場、フランスに派遣することを決めました。
およそ1年7ヶ月後、明治12年5月に帰国。
その後、30石およそ5400リットルの本県初のワインが造られました。
それとともに葡萄酒貯蔵庫、土屋龍憲セラーを建てたのです。
しかし、消費者には受け入れられず、大日本山梨葡萄酒会社は設立から7年で解散を余儀なくされました。
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当時造られた赤・白2本のワインが、高野家の実家の蔵から見つかり、メルシャン勝沼ワイナリーのワイン資料館に展示されています。
その後、高野正誠はフランスで学んだ技術を本にまとめ、栽培や醸造の技術指導に情熱を傾けました。
一方土屋龍憲は宮崎光太郎と共同で「甲斐産商会」を始めましたが、2年あまりで解散。
明治25年、醸造技術を引き継いだ宮崎光太郎は、自宅の敷地にメルシャンワインの前身「宮崎第一醸造場」を設立。
エビ印のエビ葡萄酒、丸二印の薬用帝国葡萄酒などの甘味葡萄酒を販売し、人気を博しました。
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明治中期から昭和30年代まで稼動していた、宮崎葡萄酒醸造場は今年6月、親族から甲州市に寄贈されました。
蔵から貴重なワインのラベルが多く発見され、現在調査と整理が行われています。
昭和40年代に入りワインブームが到来。甲州市勝沼町はワインの生産地として全国に知られました。
ワイン醸造を行って130年余り、今年も甲州ワインの仕込みが始まります。
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次は、甲州ワイン仕込み |