■サイエンス基金受賞者による「なるほどサイエンス」■

平成13年3月9日 掲載

山梨にも戦争があった


甲府南高校 浅川 保
(テレビ山梨サイエンス振興基金第10回受賞)

 今年は、日本の真珠湾攻撃によって、アジア太平洋戦争が始まってから60年目になる。当時20歳の青年が、今年80歳になる訳だから、戦争体験者は年々少なくなり、そう遠くない将来、戦争体験者(ヒト)による戦争体験の継承は、不可能になる。
 こうした中で「ヒト」に代わって「モノ」で戦争の実態と平和の尊さを次世代に伝えようと、原爆ドームや松代大本営跡などの戦争遺跡の調査・保存の取り組みが、全国的に進められている。
 山梨と戦争というと、敗戦直前の甲府空襲の惨害や、明治末年以降甲府市北部にあった郷土部隊・甲府49連隊が思い浮かぶが、山梨は「帝都東京」に近接していたため、戦争末期に軍施設や軍需工場の疎開地となり、韮崎七里岩地下壕や白根町「ロタコ」(飛行場)など多くの施設が造られた。それら50をこす県内の戦争遺跡については、私たち山梨戦争遺跡ネットワークが昨年7月にまとめた『山梨の戦争遺跡』に詳しい。同書をガイドブックに県内の身近な戦争遺跡を尋ねてみてはどうでしょうか。