富士吉田市の町並みを抜け、富士山に向かって進むと、国道138号線沿いに参道の入
口が見えてきます。長い参道にはスギ、ヒノキの大木が両側に立ち、昼間でも暗いほどで
す。この神社の起源をたずねてみると、そもそもは諏訪明神社の社地だったようです。社
記によれば、富士山の大噴火を恐れた住民を安心させるため、垂仁(すいにん)天皇が勅
命により火山鎮護の神「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」を祭ったのが始まりとあり
ます。武田信玄が寄進した東宮が、現在では一番古い建物です。荘厳華麗な本殿と東宮、
西宮の三殿は国の重要文化財に指定されています。
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戦国時代から領主の厚い保護を受けてきましたが、幕府領となって保護がなくなり一時
荒廃しました。享保18年(1733)、富士信仰の大先達であった村上光清(こうせい)
という人が大修復を行い、現在の姿を整えたそうです。参道に並ぶ石灯籠は、村上光清の
講社の人々の寄進によるもので、富士信仰への熱意がうかがえます。「三国第一山」の額
がかかげてある大鳥居は、木造では日本一大きな鳥居です。60年に一度、立て替えられ
るのですが、木の確保やそれを運ぶ人足の確保などに大変な苦労が続けられているそうで
す。
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神楽殿も村上光清によって再建されたものです。ここで奉納される神楽は十二の舞から
構成され、豊作を祈る直線的な動きが特徴です。神楽殿の横には水舎があり、この水はこ
から2キロほど登った泉瑞(せんずい)という富士の湧水を引いたものです。この水盤は
4キロほど登ったところから切り出されたもので、切り出したところは「石屋の寝床」と
呼ばれています。
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境内西側には諏訪神社が祭られています。「吉田の火祭り」はこの神社の祭典です。起
源はもっとも古く、この辺りはもともとこの諏訪神社の境内だったと言われています。
西宮のすぐ横に鳥居があります。この鳥居が登山門と呼ばれ、お山開きにはこの鳥居に
張った綱を切ってお道開きをします。鳥居をくぐったところの社は祖霊社といわれ、近世
富士信仰の元となった長谷川角行(かくぎょう)、村上光清、角行とその教えをさらに深
め大衆化して富士講隆昌のもとをつくった食行身禄(じきぎょうみろく)の三人を祭って
あります。
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